転売ヤーは嫌いだ。
以前、息子に頼まれてマクドナルドにハッピーセットを買いに向かった。マインクラフトだったろうか、かろうじて2つ購入できたものの、ものの数分後には売り切れになったらしい。これからは、発売初日の朝早くに店舗まで向かわねばならないと少し悲しくなった記憶がある。
ホリエモンが転売ヤーを擁護していたのも記憶に新しい。
さて、今読んでいる『食と農の戦後史』(岸康彦著、日本経済新聞社)にこのような一節がある。
買い出し列車には都会からの買い出し部隊だけでなく、農産物などを都会に運んでひともうけしようとする「かつぎ屋」もたくさん乗っていた。
『食と農の戦後史』(岸康彦著、日本経済新聞社)
これを現代で言う転売ヤーだと呼ぶのは乱暴が過ぎるが、いわゆる商取引であること(安く買って、高く売る)はいつの時代であっても変わらない。こういうと、私は転売ヤー擁護派なんだろうと決めつけられてしまうかもしれないが、私は現代でいう転売ヤーは根絶されて欲しいと思っている。

現代に生きる我々からは想像もつかないことなのだが、終戦を迎えた戦後1940年代、日本国民は飢えと戦っていた。信じられないことだが、1945年10月、当時上野駅は浮浪者のたまり場として知られていたが、1日平均2.5人、多い日には6人もの餓死者が出ていたらしい。
それくらい食糧が枯渇していた時代において、地方から都会へ食糧をかついでやって来た「かつぎ屋」を人々はどう思ったのだろうか。救世主とみたか、悪魔とみたか。ちなみに、新橋のヤミ市では
初月給二百十円を懐に、今晩のおかずでも買って両親を喜ばせようと、新橋駅前のヤミ市へ足を踏み入れた。(中略)ふとわらに通した三匹の目刺しが目についたので、『よし、これだ!』と値札を見ると、なんと百円とあるではないか。瞬間、くらくらっと軽い目まいがしたのを覚えている。
(『食と農の戦後史』(岸康彦著、日本経済新聞社))
「かつぎ屋」がどの程度の値段で販売していたのかまでは調べがついていないが、当時の電車賃などを鑑みても、それに利益を上乗せすればそれなりの値段になったのではなかろうか。
いま、わたしたちが直面しているのはいわゆる娯楽、エンタメにおける転売ヤーの跋扈である。子どもたちにとっては生死にかかわるものと主張されそうであるが、直接胃袋を満たすことができるものではない。しかし、一度これが食糧品であったならどうだろうか。それに近しい事態として、コロナ禍におけるマスク転売が挙げられるだろう。あの時も社会は大混乱した。
この物価高において店に品物が並んでいても高くて手が出せないというような状況も少しずつ生じて来ているかもしれない。転売の善悪が語られているうちはまだ大丈夫なのかもしれないが、容易に自らの胃袋を満たせないような状況に直面してしまったなら、わたしたちは社会に対してどう思うだろうか。そうなれば、転売とはみなされていない小売業者たちも、いつ何時「転売屋」と糾弾されないか分からないのである。