Crowd inside the train in rush hour

わたしには「悪意センサー」とでも呼べるものが備わってしまっていて、そのセンサーの感度調整に毎日苦労している。

この悪意センサーとやらは、他者がわたしに向ける悪意には反応するし、他者が他者に向ける悪意に対しても反応してしまう。

例えば、朝の通勤時間帯の駅で勢いよく肩をぶつけられて舌打ちをされたとする。そのとき、わたしの悪意センサーは過剰反応してしまう。相手が進む方向に向き直り、同様に相手もわたしの方を振り返っていれば、険しい視線同士がぶつかりあってしまう。

きっとわたしに余裕がないことが要因だと思われる。

満員電車のなかで、リュックを前に抱えて一応の配慮をしている男性が、おそらくそのリュックが背中に当たって不快な思いをしているだろう男性からチラチラと睨まれている。「仕方ないじゃない、だったら満員電車を避けたらいいじゃない」とわたしは内心思ってしまうのだが、自分に向けられているものではなくても、他者の悪意というのは見ていて心がささくれだってしまう。

他者がイライラしているのを見ると、わたしにもその感情が流れ込んでくる気がしてしまうのは、なぜなのか。

正直なところ、わたしの心の中では決して言葉にしてはならないような罵詈雑言が飛び交っており、自分の気持ちを宥めるのに必死になっている。通勤時間帯はこうしてわたしを疲弊させるのだ。

リモートワークで世の中足りると知ったあの時の社会の共通認識はどこにいったのだろうか。