今回取り上げたのは週刊少年ジャンプ(集英社)で連載中の「僕のヒーローアカデミア(作・堀越耕平)」です。当作に関するあらすじや用語の説明は色々なところで語られているので本稿では割愛いたします。

レディ・ナガンについて

注目したのは「レディ・ナガン」。コミックス32巻に収録された311話で初めて登場するキャラクターです。彼女は特殊刑務所タルタロスから大量脱走したヴィラン『ダツゴク』の一人として描かれています。本稿では、レディ・ナガンの言動や行動に注目して考えていきたいと思います。

そもそも彼女に注目した理由ですが、彼女の以下のようなセリフにとても興味を惹かれたからです。まず、それらをご紹介しましょう。

かつて自警団が英雄視され信頼を獲得して・・・国が彼らの活動を保証した とどのつまり超人社会の土台はヒーローへの信頼 それを維持する為の歯車が私だった 表の顔と裏の顔 どちらも欠ければ太刀行かねえから従った 従って従って その脆さに目眩がした

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

社会を維持する仕事

冒頭でレディ・ナガンをヴィラン(敵)と紹介しましたが、彼女は元々はヒーロー側で公安委員会に所属していました。公安といえば諜報機関。テロリストなど破壊活動を企てる人やグループへの対応が仕事です。以下のセリフからも分かるように、ヒーローの中にも破壊活動を行う者もいたようで、組織(国家)からの命令で彼らを消す、つまりは殺害することを仕事としていたようです。

ヒーローへのテロを謀計していたとあるグループ 敵組織と癒着し名声と金を得ていたヒーローチーム 社会の基盤を揺るがしかねない人間たちは 皆法に裁かれる事なく罪ごと消えた 全て公安の秘匿命令だ

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

しかし、最終的にレディ・ナガンは公安委員会の会長を殺害。その罪で特殊刑務所に収監されることになりました。何が彼女をそうさせてしまったのでしょうか?その様な蛮行に出た理由をこう語っている。

疲れちまったのさ。沢山殺した。偽り(ハリボテ)の社会を維持するために

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

彼女は自らの意思で上司を殺害しその罪を問われるに至ったが、彼女は公安が抱えていた暗部を全て引き受けさせられていた被害者とも言えなくもない。その仕事を辞めたいと仄めかした途端に「辞職が何を意味するか分かってるね?」と脅迫めいた発言を突きつけられるのが、自分では何も選択することができない状態にある被害者である証ではないだろうか。仕事を辞めることも許されない立場だったのだから。

ここで1つ有名な寓話をご紹介したい。

幸福の町 オメラス

オメラスは考えうる限り、最高に幸福な町。
国王も奴隷もなく、広告も株式市場もない。もちろん爆弾もない。平和と繁栄の町です。ただ、この町の豊かさは一人の子どもによって支えられているというのです。その子は地下室の鍵のかかった部屋でたった独りで暮らしています。知的な障がいを持っていますが、誰もケアする者はなく、悲惨な状態。しかし、その子がその部屋にいることによって、オメラスの繁栄、美しさ、人々の健康など、ありとあらゆる幸福は保たれており、もしその子が部屋を出てしまえば、すべての幸福は失われてしまうのだというのです。オメラスの人々はみんなそれを知っているのでした。さて、ここからが倫理学の問い。もし、あなたがオメラスの住人だったとしたら、町の幸福を失ってでもこの子を救うべきだと考えるでしょうか。それとも、地下室の障がい児はやむを得ぬ犠牲だと考えるでしょうか。修道院のシスターたちのように、みずから献身して地下にこもっているのならともかく、この子のように、本人の選択によらないとしたらどうでしょうか。この問題は、一見、単なる空想のように思えるかもしれませんが、実は、意外に現実的な問題なのです。というのも、現代社会の政治は、「最大多数の最大幸福」という功利主義の原理に基づいて決定されることがむしろ普通で、私たちの生活の豊かさは「不可視の地下室」のうえで営まれていることがすこぶる多いからです。もっと言えば、世界の一握りの国の豊かさは圧倒的多数の国々を地下室に閉じ込めることによって成り立っていると言ってもいいかもしれません。

ノートルダム清心女子大学, 葛生栄二郎, 人間関係学研究室ウェブサイトより

この「オメラス」の寓話は俳優・西島秀俊主演のTBSドラマ「MOZU」でも物語を進めるキーワードとして登場していたことを挙げたい。作中に登場する「東和夫(長谷川博己)」が頻繁に“オメラスの地下牢”という話を語っており、その地下牢に(比喩的に)囚われているのが「新谷宏美(池松壮亮)」です。新谷宏美は警備会社アテナセキュリティの役員である東の依頼で暗殺仕事を担っていました。公安と通じた東を介して新谷は(国家が考える)平和の維持に貢献していたということです。

ここで論点にしたいのは、以下の2点です。

  1. 最高権力(暴力も)を持つ国家が描く正義が唯一無二の正義なのか?
  2. その国家が描く正義を維持するため、特定のある個人がそれに伴う痛みや苦しみなどの暗部を抱える必要があるのか?

レディ・ナガンにしても新谷宏美にしても、殺人に特異的な能力を持っていること、その能力を国家に買われてその任に就いたことが共通している。しかし、固有の意思をもった人間である以上、どれだけ依頼主である国家が大義名分を与えてくれようとも、やっていることがヒーローや人の倫理に外れるような事であるなら、早晩個人だけでは抱えきれなくなるだろうことは想像がつくかもしれない。

そういった問題を他の作品においては、完全に自我を無くした者(盲目的に政府の言いなりになる者)を殺人マシーンとして投入することでその論点を回避しようとするが、ヒロアカやMOZUではその点に向き合って描こうとしていたのが私個人としてはとても好感が持てる。

挙げた論点について

「ヒーローとは何か?」というテーマと正面から向き合っているヒロアカが語る正義はどんなものか?緑谷出久とレディ・ナガンの闘いは、その正義を巡る新旧両世代の主張のぶつけ合いとも取れる闘いと言えるのではないか。

旧世代と新世代の認識差

まず正義を語るうえで、物事の白黒をハッキリさせることの危険性が語られる。

つくられた正義しか見えてない そんな色に染まった人間には理解できねェさ

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

レディ・ナガンはそう語って緑谷出久を否定し、自らの正義と社会に蔓延する偽りの正義を糾弾するするのだが、次に紹介する彼の主張というのはかなり懐の深いもののように取れる。

白と黒だけじゃない・・・世界のほとんどはグレーで 不安や怒りが渦巻いている・・・だからこそ そこに手を差し伸べなきゃ

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

レディ・ナガンが殺したのは公安委員長という個人だが、彼だけを憎んでいた訳ではなく、憎んでいるのは体制そのものである。彼女目線で考えると、雄英高校のような国家が運営する教育機関で育てられたヒーロー候補生は、その社会が生んだ憎む対象になってしまう。彼女にとっては国家という体制が絡むもの全てが「クロ」であり、否定すべきものと考えている。彼女は“綺麗事を聞くと吐き気がする”と話すが、正義(シロ)と不正義(クロ)を線引きすることが彼女の姿勢であったことが分かると思う。

いつからだっけ 綺麗事に吐き気を催すようになったのは

僕のヒーローアカデミア(堀越耕平), コミックス32巻, 集英社

緑谷出久は雄英高校の生徒であるが、社会のことを何も知らない温室育ちのお坊ちゃんなのだろうか?その点は、彼女と闘った時の彼の状況に注目したい。
彼は学校という閉ざされ守られた空間にいたのではなく、そこから離脱し誰も守ってくれない荒野に身を投じていたことが重要で、彼の発言に一定の説得力を持たせているように思う。単なる学生の立場からの発言であるなら戯言、綺麗事として切り捨てても良かったが、彼はそうではない。ヒーロー旧世代(レディ・ナガン)が国家に良いように使われ自らを貶めてしまったのに対し、ヒーロー新世代(緑谷出久)が敵味方を明確に線引きせず、自らの信じる正義を”一人ではなく誰かと共に”貫き続けることができるのが特徴ではないだろうか。一方で彼女は何も出来ずヴィランとして生涯を終えたのか?否、そうではない。彼女はホークスにオールフォーワンに関する重要情報を伝えて息絶える。彼女も最後の最後にヒーローとして生涯を終えたことが一つの救いであると思えた。

また、先に提示した2つの論点についても、国家が掲げる正義はいつの時代も怪しいし、正しい時もあるとは思うが、唯一無二ではあり得ない。そして、その正義を維持するために“オメラスのような理想郷”を作り上げたとして(必要悪や汚れ仕事を誰かに押し付けたとして)、それを維持し続けることは困難であることは明らかなようにも思う。

なるほど。では、次には以下のような疑問が湧いてこないだろうか?

それでは正義が多様化しただけで、次はそれぞれの正義の押し付け合いが起きるのではないか?

そう。緑谷出久に正義があるように、治崎にも正義があり、死柄木弔にも正義がある。後編ではその点について論じていきたいと思う。

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